モンゴルの贅沢な記憶
椎名誠 (作家 映画監督) |
モンゴルの草原には存在感のある空気が濃厚だ。これは不思議な感覚だ。都会にいると窒息しそうになるので「空気」の存在をより意識するようになるのではないか、というとそうでもない。おそらく都会にはそれ以前に五感を刺激するものが多すぎて「空気」にまでいたらないのではないだろうか。
ぼくがモンゴルに行って最初に感じたのはつまりその「濃厚なる空気」だった。嬉しかった。体が喜んでいるのがわかった。
同時に吹いてくる風と、その中にまじっている匂いと音の存在を豊富に感じた。
それも不思議な感覚だった。都会にいるときより草原ははるかにすきとおって静かなのに・・・・。
風は草原を丸まって吹きわたっていくようでそれが目に見えるような気がした。生き物たちの存在をしめすやわらかい匂いがその中にあった。草の匂い、馬や羊たちの糞の匂い。風の音にまじって動物たちの吐息やバッタのはばたく音も聞こえた。
なんて贅沢な時間が流れているのだろう、と思った。それからモンゴル通いがはじまった。体ごと好きになれる場所がみつかったのだ。
あるとき一日がかりで郊外へのちょっとした外出をした。行きは馬で帰りは路線バスだった。二十人ほどの客が乗っていた。バスは途中でパンクして車輪の交換になった。こんなことはその当時のモンゴルではしばしば起きる当たり前のことだった。
乗客は外に出て体を延ばし、修理の終わるまで休憩ということになった。しばらくの退屈な時間である。
すると誰かが唄をうたいだした。すぐにまわりの客が反応し、またたく間にみんなの合唱になった。もとよりばらばらの乗客であったが、そんなことはなんの問題もない。唄を知らないでぼんやりしているぼくだけが間抜けのようだった。
みんな笑顔の合唱が三曲ほど続いたあたりでパンクが直った。直ってしまうのがもったいないような気がした。それからまたウランバードルまでのガタガタ道の帰路についた。忘れられない遠い日のモンゴルの夕方の記憶である。
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